こんにちは。東京都議会議員(大田区選出)のやながせ裕文です。
東京都による五輪会場の見直し案決定を前に、だいぶ騒がしくなってきた。どうしても従前のプランを見直したくない方々が、一斉に異論を唱え始めたようだ。みんな一様に「怒ってるぞ」というアピールをしているのが印象的。
なかでも気になったのは、日本トップリーグ連携機構・川渕三郎会長の発言だ。
東京都が推し進める五輪会場見直し案について
「レガシーはお金の問題じゃない。心の問題」
と、異を唱えた。また、都は、バレーボールの会場となる有明アリーナが、約400億円の建設費がかかるため、新設を止め、既存の横浜アリーナの活用を検討している。このことについて
「今後の文化活動において、新しいアリーナをつくることが絶対に必要と確信している」「横浜は15年1年間でスポーツに使ったのはたったの1日。それでは、今後の(スポーツの)レガシーとして残らない」
と反論した。
おいおい。この発言に反発している都民は多いのではないか。私も相当な違和感を覚えた。
そもそも、なぜ会場の見直しをしているのかを思い出してほしい。東京五輪の開催費用は、立候補ファイルの時点から大きく膨張し3兆円を超えると試算されている。その大部分は都が支払うことになるのだ。この負担を負うことになる都民はどう考えるのか?
2020東京五輪の招致活動の道のりは容易ではなかった。当初、五輪といえば「巨額の開発事業」であり「負の遺産を残す」というイメージが圧倒的で、東京都民の民意を得ることができなかった。これが2016五輪の誘致と同様に、他都市と比べた東京の致命的な弱みだったのだ。
そこで、「コンパクトな五輪」をコンセプトとして打ち出す。コンパクトなのは地理的なものだけでなく金額的にもだ。以下は猪瀬知事(当時)のツイートだが、これは選考委員へのアピールであっただけでなく、都民へのアピールでもあったのだ。
誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです。
東京五輪は「カネ」がかからないと必死になって説明し、さらには東日本大震災の「復興五輪」と位置づけし、ようやく国民・都民の支持を得ることができて、招致につながったのだ。
つまり、都民は無条件に「五輪」を受け入れたわけではなく、「コンパクトな(お金のかからない)五輪」を許容したにすぎない。さらには「復興に寄与する」ことも重要な要件だ。
だから、都負担となる施設整備費が約1500億円から3倍の約4500億円となる試算が発表されたとき、都議会は猛反発し、舛添知事(当時)も呼応して、約2200億円まで縮減を断行した。
その後、開催費用が2兆円を超えるという森会長の発言や、3兆円になる可能性を舛添知事が示唆。私を含む各会派が、今年2月の定例会で、許容できないとしてコストの精査と削減を要望し、舛添知事は尽力することを約束し取り組もうとした。ここで小池新知事が誕生する。更なるコスト削減を目指すのは当然だ。
川渕氏の発言「レガシーはお金の問題ではない」などと、とても言えるものではない。
「2020東京五輪は素晴らしい大会だった」とみんなの心にレガシー(遺産)を残すためには、なんとしてもコンパクト(コスト)な五輪を実現しなければならないのだ。素晴らしいレガシーとなるかどうかについて、お金は重要な問題だ。
2兆円、3兆円の五輪など、誰も望んでいない。それだけかかるのなら「返上せよ」という都民も多いだろう。
有明アリーナを新設することが、レガシーを残すことになるとも発言をしているが、「レガシー」とは単なる「ハコモノ施設」のことなのか。
先日、地域のお祭りで、パラリンピック競技である「ボッチャ」の普及活動に出会った。競技するために必要な球が一式で8万4千円!と高価なため、なかなか購入できない、という話を聞いた。
整備費のコストを削減し、その数百億という巨額な費用の一部を、こういったマイナー競技の環境づくりや、選手強化の費用に充てることができたら、どれだけのことができるだろう。素晴らしいレガシーを残す大会となるように尽力したい。