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2012/09/05

民主党を離党しました

お知らせ / ブログ

8月29日に民主党に離党届を、都議会民主党に退会届を提出しましたことをご報告申し上げます。

 

2007年に大田区議会議員選挙に当選をさせて頂いてから、東京都議会議員として3年、議員として5年が経とうとしています。ご支援とご指導を頂きました皆様には衷心より御礼を申し上げます。また、ご心配ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

 

民主党国会議員の秘書から区議会、都議会と10年近く民主党員として活動をしてきました。国政においては、多くの皆様のご協力をいただき「コンクリートから人へ」「地域主権」「ムダの大幅な削減」を訴えながら2009年に念願の政権交代をさせていただきました。

 

しかし、それから3年が経とうとしていますが、訴えてきた政策の実現には至っていません。環境的な問題や経験不足といった理由もありますが、時が経つにつれて、民主党から課題解決への「想い」が無くなってしまったと感じています。申し訳ない思いでいっぱいです。

 

野党時代には利権やしがらみを糾弾してきましたが、政権与党となると、各種団体等との関係を強化し、官僚との親和性を保つためにその利権を放置することを余儀なくされ、結果として大きなしがらみに囚われることになってしまいました。このことが「ムダの削減」を阻む大きな壁となっており、一地方議員として何もできないことを悔やんできました。

 

昨年の3月11日に発生した東日本大震災は、我が国を危機的な状況に陥らせました。福島第一原子力発電所の事故では、遠く東京にまで放射能汚染が及び、今でも小さな子どもを持つ家庭を中心にその影響に恐怖を抱いています。

 

私は昨年より、この放射能対策こそ東京における最優先課題だと確信し、対策の前進にむけて東奔西走してきました。多くの皆さんと対話を重ね、都議会民主党に「放射能対策PT」を立ち上げ、さまざまな提案を行ってきました。活動はメディアなどで取り上げていただき、若いお母さんを中心として仲間の輪も大きく広がっていきました。また、放射能対策の最たるものが「原子力を使用しない社会をつくること」であり、脱原発の方向を打ち出してきました。

 

しかし、活動をすすめていくなかで、民主党の施策に大きな違和感を感じるようになってきました。原発事故以前の原子力行政に関しては、自民・公明政権に大きな責任があります。しかし、事故以降にどう安全を確保し規制していくのかは民主党の役割です。ですが政府・民主党は、安全基準を無視して大飯原発を再稼働するなど容認できない施策を繰り返し実施してきました。

 

なかでも政府は、今後の原子力運用での安全確保の要である「原子力規制委員会」の委員長に、「原子力利権」と関係の深い田中氏を起用する閣議決定をしました。この決定は、民主党が国民目線で将来の安全確保に取り組むことができないと断ぜざるをえません。

 

また、都内で放射能汚染が大きな課題となっているにもかかわらず、都議会民主党では、私が立ち上げた「放射能対策PT」を廃止するに至りました。

 

残念ながら民主党、都議会民主党に所属するなかでは、「放射能対策」や「脱原発」を実施することには限界があります。

 

私は「子どもたちの未来のために」をキャッチフレーズとして活動してきました。次の世代に「安全な社会」を引き継ぐことが私の役割だと考えています。いま、この国は大きな分岐点にあり、ここで、しがらみや利権に囚われることなく、真っ直ぐに国民のための政治が行われることが必要です。

 

何日も眠らずに考えましたが、「いまこの課題に取り組まなければ議員である意味がない」という結論に至り、離党・会派を退会する決意をしました。

 

今後は、志の高い仲間たちと新しい勢力を結集し、役割を果たしていく覚悟です。そして皆様とお約束をした「コンクリートから人へ」「地域主権」「ムダの大幅な削減」を実現してまいります。

 

都民の安全・安心確保のために全力を尽くします。

 

どうぞご理解をいただき、今後ともご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

柳ヶ瀬裕文